【解説】宮下英樹『センゴク外伝 桶狭間戦記』|結論|感想|読み方

桶狭間

まさに

戦国のベテラン 対 新人

才と武を兼ね備えた〈今川義元〉と粗削りの〈織田信長〉が桶狭間の地でぶつかり合う——!

よーいち
戦国時代って面白い。歴史を好きになったきっかけはこの作品でした。

僕が大好きな漫画 『センゴク外伝 桶狭間戦記』を簡単5分でご紹介します。

結論

この本が教えてくれるのは、力の変遷です。

 

感想

『センゴク外伝 桶狭間戦記』との出会い

歴史はそんなに好きな方ではありませんでした。

でも、ひとつだけ、疑問が残ったままのいくさがありました。

それが〈桶狭間おけはざまの戦い〉です。

今川義元いまがわよしもと率いる25000~30000の大軍。

対する織田信長おだのぶなが軍はわずか2000〜3000。

どう考えても織田信長が勝てるはずがありません。が、勝ったのは織田信長でした。

まだ、爆弾やミサイルがない時代にです。

 

簡単あらすじ(今川義元)

唐鏡

「戦国時代」とはなにか——

通説では、1467年、天下のおいえ騒動、「応仁おうにんの乱」により幕府ばくふの力が衰退すいたい——ここに下克上げこくじょうの社会が現出したとされる——

が、それが動乱どうらんの原因となりうるのであろうか?

応仁の乱以前以後も飢饉による土一揆つちいっきの件数は変わらない。

1450年〜1600年の間は太陽の活動が低下し、『小氷河期』と呼べるほどの寒冷期が訪れていた。

それこそが不作と飢饉の原因と考えられる。

——要するに「戦争により飢饉ききんが起こる」のではなく、「飢饉からの回避として戦争が起こる」という逆説である。

1522年 京都

飢饉による難民が京都に集中。略奪・暴行・人売りが横行おうこうし、都は大混乱をきたしていた。

僧侶〈九英承菊きゅうえいしょうぎく〉は人品学識武勇にすぐれ、今川家から仕えるよう誘いの手紙が来ていた。

戦国大名に仕える気はなかったが、この翌年、今川家の懇願こんがんにより駿河するがに行くこととなる。

 

駿河国主は〈今川修理大夫氏親いまがわしゅりだゆううじちか〉……外叔父がいおじ(母の弟)が北条早雲ほうじょうそううん

氏親うじちか〉は〈九英承菊きゅうえいしょうぎく〉に息子〈方菊丸ほうぎくまる〉の教育係を申し付ける。戦国武将としてではなく僧として育ててほしいと。

(※方菊丸ほうぎくまるは今川義元の幼名)

九英承菊きゅうえいしょうぎく〉は返事をする前にひとつ質問をする。「戦国大名とはいかなるものに……?」

氏親うじちか〉は答えます。「ワシもかつて北条早雲ほうじょうそううんに問うたことがある。ただ乱世らんせくるのみと……。幼少のワシにわかりやすくこうもおっしゃった。乱世とは、果てるまで命を燃やす遊び場であると」

 

初めて〈方菊丸ほうぎくまる〉に会った〈九英承菊きゅうえいしょうぎく〉は不思議な感覚を覚えた。

九英承菊きゅうえいしょうぎく〉の目には、まだ4歳の幼な子の中に、人智を超えた才能があるの感じ取っていたのだ。

そして、ひとことこう言います。「おぬし戦国大名せんごくだいみょうにしてやろう」

 

簡単あらすじ(織田信長)

永楽通宝

津島つしまは、自治商業都市として栄えた”独立国”であった——

だが満月の夜に悪鬼は舞い降りた。

織田弾正忠信貞おだだんじょうのちゅうのぶさだ〉は津島を焼き払い、この街を支配下に置いた。

史上初めて領地(収穫)ではなく、銭(経済)の支配に乗り出したのは、織田信長の祖父〈織田弾正忠信貞おだだんじょうのちゅうのぶさだ〉であった。

室町時代前期はいまだ原始的な「物々交換ぶつぶつこうかん」が民の経済の主流であった。

しかし、慢性的まんせいてき飢饉ききんによって、その”物々ぶつぶつ”が少なくなると、代替物だいたいぶつである「貨幣かへい」が日本国内に大量に出回った。

そして「ぜにを貯める」という行為が生まれ「金融きんゆう」が生まれた。

 

1543年 尾張おわり 津島

〈織田吉法師きちほうし〉=後の〈織田信長(10歳)〉は欲しいものには「欲しい」と言う純粋で命知らずな子供だった。

14歳になった〈吉法師きちほうし〉はある日、こうがい(髪を結う道具。刀の付属品でもある)を盗まれる。

吉法師きちほうし〉は質屋に銭袋ぜにぶくろを渡し、それでこうがいを売りに来る奴がいたら知らせるようはからった。

そして、こうがい泥棒をひっ捕まえ、後ろ盾が誰が聞き出すと男は「堀田家」と答えた。

津島十五家筆頭〈堀田右馬大夫ほったうまだゆう正貞まささだ〉……津島一の土豪どごう

堀田家の屋敷に入り込んだ〈吉法師きちほうし〉は当然あしらわれた。

すると、父〈織田信秀〉が「金欠病にござる。カッカ」と笑いながらやってきた。

〈信秀〉は〈堀田〉に「銭一千貫ぜにいっせんがん拝借仕はいしゃくつかまつりたし」(=お金を貸してください)と、土下座をしてう。

織田弾正忠信秀おだだんじょうのちゅうのぶひで〉は尾張の守護代家老。

地にひれ伏す父の姿を見て、〈吉法師きちほうし〉は銭の力を知り、銭に勝つことを決意する……!

(※一千貫いっせんがんは現在の1億円以上といわれています。)

 

対比

今川義元と織田信長は生まれた環境も性格も全く違います。

表にまとめてみました。

今川義元 織田信長
生年月日 1519年 1534年
桶狭間の
戦いの時
(1560年)の年齢
42歳 27歳
身分 守護大名 守護代
領地 駿河するが遠江とおとうみ三河みかわ 尾張おわり
軍事力 25000〜30000 2000〜3000

年齢差がひと回り以上あり、身分、領地、軍事力、経験値は今川義元の方が上。織田信長が下。

今川義元が優勢であることはひと目で分かります。

ちなみに身分のくらいは、下から〈家老かろう〉→〈守護又代しゅごまただい〉→〈守護代しゅごだい〉→〈守護しゅご〉となっています。

 

今川義元の敗因は……

醍醐味は〈なぜ今川義元が敗れ、なぜ織田信長が勝ったのか〉です。

言ってみれば、一流のプロボクサーに下町のジムあがりの新人が勝つようなものです。

●今川義元は、戦争と政治の才能、そして経験を兼ね備え、駿河するが遠江とおとうみ三河みかわを支配するベテラン。

●織田信長は、8年をかけて尾張をほぼ統一したばかりの若造。

一説では、〈今川義元の油断で、すきを突かれて奇襲を受けた〉と解釈されていますが、ちょっと強引すぎると思います。

「一流のプロボクサーが油断して新人に負けた」と言うのと同じです。

この『桶狭間戦記』は全5巻ですが、5巻の序盤までは今川義元が負ける気配はありません。

「本当に織田信長が勝つのか?」と思ってしまうほどです。

織田信長の目線で言うと、「無理・無理・まだ無理・来る!・来た!・ヤバい!・まさか・マジか!・なるほど」

こんな感じです。w

 

センゴク用語

戦国時代にはその時しか使われていない言葉が多く存在します。

例えば、〈守護大名〉〈守護代〉など。

『センゴク外伝 桶狭間戦記』の巻末にある、【用語辞典】から特に知っておきたい用語を紹介します。

()内は、僕の解釈です。

 

土一揆つちいっき

領主などの支配に対して、庶民が自分たちの要求を通すために蜂起すること。

(生活に苦しむ農民が税の軽減や取り下げを要求し、要求が通らなければ武力で襲撃すること)


足軽あしがる

傭兵ようへいのこと。

(お金で雇われた兵士のこと)


土豪どごう

その土地の領主のこと。


【代官】

支配者の代理として領地を治める職務を任された者のこと。


【津島十五家】

津島において、豊かな経済を持ち「四家」「七党」「四姓」と呼ばれた土豪たちの総称。


守護しゅご

幕府により定められた地方官職。

(その土地で、警察的な役割や税収を行う権利を任される)


守護しゅご大名だいみょう

守護が権力を握ることで大名となった者は「守護大名」と呼ばれる。


守護代しゅごだい

守護の代わりに直接的に地方に置かれ、統治を任された者のこと。

 

読み方

『桶狭間戦記』は全部で5巻です。

1巻では、今川義元のい立ちが描かれています。

2巻では、織田信長のい立ちが描かれています。

3巻〜5巻では、両者が戦うまでの流れと戦いの様子が描かれています。

歴史が苦手な人でも読みやすく、感情移入しやすい作品だと思います。

(個人的には、織田信長の幼少が見れて嬉しかったですね)

 

最後に

他には『センゴク』、『センゴク天正記』、『センゴク一統記』、『センゴク権兵衛』などがあります。

ぜひ探してみてください。

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高校中退→ニート→定時制高校卒業→フリーター→就職→うつ→休職→復職|うつになったのを機に読書にハマり、3000冊以上の本を読みまくる。40代が元気になる情報を発信しています。好きな漫画は『キングダム』です。^ ^

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