——これは、僕と同僚Aさんとのたわいもない会話です。
物忘れが多くて
同僚A「最近、物忘れすることが多くて……」
僕「そうなんですか?」
同僚A「はい。老化してきたような気がします」
僕「何言ってるんですか。まだ大丈夫ですよ」w
同僚A「いや〜、本当なんですよ。人の名前がなかなか出てこなくて……」
僕「以前、何かで聞いた話なんですけど、脳には容量があって、それを超えると不必要な情報は消えていってしまうそうですよ」
同僚A「脳に容量があるんですか?」
僕「ええ、無限ではないらしいです。新しい知識が増える反面、古い情報は消えていくので、普段必要としない知識は忘れてしまうらしいんですよ」
同僚A「よーいちさんはそんなふうに考えるようにしてるんですか」
僕「そうですね。仮に物忘れがひどくなったとしても、どうしようもないじゃないですか」
同僚A「まあ、そうですけど……」
僕「どうしようもないことを嘆いていても何も変わらないので、僕の場合は”今まで脳の容量がいっぱいになるまで頑張ってきたんだな”と自分を褒めてあげますね」w
同僚A「そうなんですか」
僕「ええ。だから、思い出せなくてもそれは重要な知識でないので、気にしなくていいんです」
同僚A「そうですか? 認知症になりかけてるのかも」w
僕「違いますよ。認知症は単なる物忘れとは違います」
同僚A「そうですよね……あの、なんで人は認知症になると思います?」
僕「いきなりどうしたんですか?」
同僚A「あのね、うちのお爺ちゃんが認知症になっちゃったんですよ」
僕「ああ、そうだったんですか。それはお気の毒に」
認知症の個人差
同僚A「もう80過ぎだから、年相応といえばそうなんですけど、私が子供の頃、すごく優しくて、いろんな所に連れってくれたりオモチャも買ってくれたんですよ。だからショックで……」
僕「……いいお爺ちゃんだったんですね」
同僚A「……はい。これから家族のこととか今まであったことをを忘れていくのかと思うと……」
僕「……つらいですね」
同僚A「この先、介護なしじゃ生活できなくなったらどうしよう……。曽お婆ちゃんがそうだったんですよ。」
僕「認知症がどんなものか実際に見てきたんですね」
同僚A「症状には個人差があるみたいですけど。でも……それを見た時、思ったんですよ。自分は認知症になって訳がわからなくなって人の世話を受けてまで生きてたくないなぁって」
僕「そうですね。認知症になって長生きするのはつらいですね」
同僚A「10年以上前の話なんですけどね、近所にイケメンのオジサンが住んでたんですよ。めっちゃイケメンの」w
僕「イケメン好きですね〜」w
同僚A「ウフフ……あ、すみません」w
僕「……」
同僚A「えーっとですね、その人が認知症になったんですよ。その当時、まだ50歳くらいだったと思います」
僕「あらら……若かったんですね」
同僚A「若年性の認知症らしいです。実際、その家族の人たちは大変だったそうですよ」
僕「そりゃそうでしょう。まだまだ働ける年なのにそんなことになってしまって、本人が1番つらかったでしょうね」
同僚A「そうだと思います。家族の負担になりたくないからって、オジサンの方から離婚を切り出したみたいです。でも、家族が猛反対して離婚はしなかったみたいです」
僕「あー、そうなんですね……うんうん……」
同僚A「でも、結局、60半ばで亡くなられたんです」
僕「んー……早いですね……60半ばは……」
同僚A「で、オジサンのお葬式に行ったんですよ。顔つきはもう私の記憶にあるオジサンの顔ではなかったです」
僕「……認知症って怖いですね」
同僚A「なんで人は認知症になるんでしょうね」
僕「一説では、死ぬことへの恐怖心を回避するためと聞いたことがありますが、僕はこの説は嫌なんですよ」
同僚A「それはなんでですか?」
僕「死の恐怖を回避するにしても、10年20年も認知症が続くのは少々割に合わないと思いませんか?」
同僚A「少々というかめっちゃですね。確かに死ぬのは怖いですけど、認知症でずっと生きていく方が嫌かもしれませんね」
認知症になりやすい人は〇〇!?
僕「でも、90を越えてもしっかりしてる人もいますよね。この違いはなんなんでしょうね」
同僚A「本当に不思議です。生活習慣なのかと思えば、そうでもなかったりするし」
僕「以前、テレビ番組で、デスクワークが多くて日々に刺激が少ない人がなりやすいというのを観たことがあります」
同僚A「なるほど……でもね、昨日、母が先生(医師)から聞いた話なんですけど……」
僕「何の話ですか?」
同僚A「それがね、認知症って教師とか看護師がなりやすいらしいんですよ」
僕「え? そうなんですか。初めて知りました」
同僚A「まあ、どこまで信憑性があるのか分かりませんけど」
僕「教師と看護師ですか。でも、毎日が刺激的な印象のお仕事ですけどね」
同僚A「それが、先生(医師)が言うにはストレスが原因なんじゃないかって」
僕「ああ、なるほど。ストレスで脳が疲弊するってことか……」
同僚A「たぶん、脳に負荷がかかるんだと思います」
僕「あ、それを聞いて思い出したんですけど、今、心理学の本を読んでまして、その中に、認知症を改善するのに脳トレは良くないって言ってるんです」
同僚A「へぇ〜。脳トレ、頭に良さそうですよね」
僕「それがですね、計算問題や漢字の書き取りなんかは現実に使うことがほとんどない、実用性の低いことだから、脳が活発に働かないのだそうです。例えば、テレビで災害のニュースが流れても、自分の住んでる地域じゃなかったら真剣に聞こうとは思わないじゃないですか」
同僚A「あ〜、確かにそうですね。近くで起きたなら知ろうとするけど、遠くのことだったら軽く受け流しちゃいますね」
僕「自分に関係ないことに脳の反応は鈍いらしいんです。だから計算問題や漢字の書き取りの能力は上がっても、脳が鍛えられているわけではないらしいんです」
同僚A「へぇ〜」
僕「だから、計算問題や漢字の書き取りをするよりも、家族や友だちと直接会って、どこかに行ったり、おしゃべりしたり、美味しいものを食べたりする方がよっぽどいいってその本には書かれてるんです」
同僚A「はぁ〜、なるほど〜。分かるような気がします」
僕「ちょっと話を戻すようなんですけど、1人で計算問題や漢字の書き取りをすることは、デスクワークと似てると思いませんか?」
同僚A「似てる! 刺激が少なそうです」
僕「1人が悪いことだと思いませんよ。1人でどこかに出かけるのも十分刺激的です。だから、どこか知らない所に出かけると脳にいいと思うんです」
同僚A「知らないところですか? はははは」w
僕「知らないところに無計画で行くのって楽しくないですか? 僕は好きなんですよ」
同僚A「私はそんなことをしたことがないので分からないですけど、どうでしょうね。楽しいんですかね」
僕「近場でもいいんですよ。6つくらい先の駅を下車してみるとかで」
同僚A「ははは。でも、言ってることすごく分かります。今度、お爺ちゃんとどこかに出掛けてみます」w
僕「ええ。お爺ちゃん、きっと喜びますよ」
同僚A「だったらいいんですけどね……」
僕「他にも何か?」
死にたい気持ち
同僚A「……お爺ちゃんがね、私やお母さんに”もう死にたい”ってよく言うんです。どう返してあげればいいのか分からなくて困るんですよ」
僕「うーん……お母さんはなんて返すんですか?」
同僚A「”そんな悲しいこと言わないでよって言うしかないじゃない”って言ってました」
僕「突き放すようなことは言えませんよね」
同僚A「相手はお年寄りですし、”だったら死ねば?”なんて、仮に思ってたとしても言えないですよ。それでその後、本当に死んだりしたらショックで立ち直れないですよ」
僕「本当にそうですね」
同僚A「私、お爺ちゃんは本当にそう思ってるんだと思うんです」
僕「うんうん。僕もそう思います。死にたい気持ちは嘘じゃないでしょうね。でも……ですよ?」
同僚A「はい?」
僕「死にたいって思ってたとしても、なんで人にそれを言うんですかね?」
同僚A「そこですか」w
僕「だって、わざわざ言わなくてもいいことじゃないですか」
同僚A「まあ、確かにそうですね」
僕「人の行動には必ず目的があるんです。お爺ちゃんは誰にでも”死にたい”と言ってはないと思います。優しい人にだけ言ってると思います」
同僚A「ああ、そうかもしれません。お母さんはお爺ちゃんにキツく言ったりしないですから」
僕「おそらく、お爺ちゃんは、”そんなこと言わないで”とか、”まだまだ元気でいてくださいね”とか言って励ましてほしいのだと思います」
同僚A「そうなんですかね」
僕「たぶん自分の価値が見出せなくなってるんだと思います」
同僚A「自分の価値?」
僕「そうです。年をとって、今まで出来たことがだんだん出来なくなって、出来ることがどんどん減ってきて、自分の価値が下がってるような気になってるんだと思います」
同僚A「最近、お爺ちゃん、”もう出来ないことばっかりだ”ってよく言います」
僕「出来てた頃と今を比べてしまうから落ち込んでしまうんだと思います。で、仕舞いには”こんな価値の無い自分は生きてたって仕方がない”と思うようになったんだと思います」
同僚A「”もう死にたい”って言った相手に励ましてもらいに行ってるんですか?」
僕「そうです。誰だって自分に価値がないと思いたくないものです。でも、励ましてもらうことを続けていても、根本的な解決になっていないので、不安になるたびに誰かに頼り続けることになります。だから、励ましの言葉よりも根本的な解決が僕は望ましいと思います」
解決方法は限界突破
同僚A「根本的な解決にはどうしたらいいですか?」
僕「自分で自分の価値を見つけることが1番ですが、それをお年寄りに強いるのは場合によっては酷だと思います」
同僚A「お爺ちゃんの生きがいを見つけるみたいなことですか?」
僕「そうです。自分がしたい・やりたいと思うことをするんです。限度や制限を作らないのがポイントです」
同僚A「何でもさせるんですか? ちょっと怖くないですか?」
僕「それが本人が心から望むことなら。もちろん、死ぬこと以外で」
同僚A「お爺ちゃんね、ときどき”子供の頃に住んでた家に行きたい”って言うんですよ」
僕「へぇ〜、いいじゃないですか」w
同僚A「九州なんですよね……山の奥の、本当に何もないような所で……」
僕「それでもいいじゃないですか。お爺ちゃん、きっと喜びますよ」
同僚A「元気になりますかね?」
僕「ええ。今から帰ってその話をしてあげてください。それだけでも効果はあると思いますよ」
同僚A「そうですね。そうしてみます」w
僕「お爺ちゃん、飛んで喜ぶんじゃないですか」w
同僚A「でも、その後はどうしたらいいですか? 目的が達成されたら、その後、生き甲斐がなくなってしまわないかと思って」
僕「そこで遠慮させてはいけませんよ。”ここまでしてもらったから十分だ”なんて、お爺ちゃんの気持ちを制限させているのと同じです。心の底ではもっとしたい、もっと欲しいと思ってるはずです」
同僚A「でも、さすがにずっとは付いていられないし、お金も限りがあるし……」
僕「だから、よく話し合ってほしいなと僕は思うんです。来週はここに行こう、来月はあそこに行こう、その次はコレをしよう、とか」
同僚A「それ、私とお母さんで分担してもいいですか? 私1人ではとても出来そうにないので」
僕「もちろんですよ。例えそれが、一年に一回だとしても、次はどこに行こうか考えてるだけで気持ちは前に向いてきますよ」
同僚A「日帰りでもいいですか?」
僕「Aさんのできる範囲でいいと思います。まずは出来そうなところから始めてみたらどうでしょう?」
同僚A「だったら私にも出来るかもしれません。さっそく、お爺ちゃんと話をしようと思います」w
僕「それがいいです」w
同僚A「認知症、治ったりして」w
僕「案外、認知症とメンタルは深い関わりがあるのかもしれませんね。今日、Aさんと話していてそう思いました」
同僚A「メンタルの問題解決が認知症の解決にもなると?」
僕「認知症の原因はいまだに解明されてないので、分からないことだらけですが、だからってお年寄りが落ち込んで1人寂しい気持ちで過ごすことを必然的で仕方ないことだとは思いたくないんですね」
同僚A「そういう孤独なお年寄りは多いと思います」
僕「もしAさんが認知症になってもならなくても、泣いて過ごすのと笑って過ごすのだったら、笑って過ごす方を選びますよね?」」
同僚A「絶対笑って過ごしたいです!」w
僕「僕もです」w
同僚A「”認知症って何だっけ?”って言うくらいの人生がいいです」w
僕「ああ、そうです、そうです。まさにそれですよ。認知症のことなんて忘れるくらい、人生を謳歌しようという気持ちが大事なんですね」
同僚A「まずは出来るところから?」
僕「ええ。出来るところから始めてみて、出来るだけ限度や制限を作らないこと。それでも始められない時は、どうすれば出来るかを前向きに話し合ってみましょう。その時、お爺ちゃんの本音が聞けるかもしれません」
同僚A「なんか、楽しそうですね」w
僕「楽しいと思います」w
同僚A「とんでもない昔話をし始めたりして……」w
僕「それはそれで聞いてあげてください」w
同僚A「はい。ワクワクしてきました」w
僕「よかったです」
同僚A「またご報告いたしまーす」w
僕「お待ちしておりまーす」w
⚠️これはフィクションです。実在の人物や物事は一切関係ありません。
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【対話形式】【6】〈おバカな後輩〉が問題を起こすのは〇〇のせいだった。
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