まさに
現象学的還元ラーメン
たまたま入った変なラーメン屋。 店主はラーメンを通して難解な現象学をわかりやすく講釈する——。
今回は【講談社まんが学術文庫】から『現象学の理念』を簡単5分でご紹介します。
結論
この本が教えてくれるのは、人類にとっての正しい未来の考え方です。
感想
『現象学の理念』との出会い
哲学×ラーメン——ベストマッチ!
「なんだかわからないけど面白そうだな」 期待しかありませんでした。
簡単あらすじ
新しいラーメン屋ができていた。
店名は”絵歩形”
ラーメンヲタクの男はさっそく味をチェックする為に入店した。
入ってみると、カウンター席が6~7席あるだけごくありふれたのラーメン屋。食券発行機があるが、男はその横の張り紙を見てちょっと驚いた。
「普通のラーメン」 1050円
「現象学的還元ラーメン」 500円 スープ、麺、具、全て、普通のラーメンと同じです ただし、このラーメンに関する説明を聞く義務が生じます
「内容が同じラーメンなら、迷わず500円のほうだろ」と男は"500円の現象学的還元ラーメン"のボタンを押した。ラーメンヲタの自分にはむしろ、そのこだわりのウンチクを聞きたいと思った。
食券を店主に渡すと作り始めた……のだが、なぜかラーメンのスープだけを男の前に置いた。
男は呆然とする。「スープだけ……? これで500円……?」詐欺か?と思いながらスープを口に運んだ。すると、「うまい!」
男がスープを飲んでいる間に店主は麺を茹で、器に入れる。
男が麺を勢いよくすすると、「うめ〜〜」
店主は器にチャーシュー、メンマ、味玉子を乗せていく。
「いや〜うまかった!」男はあっという間にラーメンを平らげてしまった。「あ、このラーメンのウンチクを聞かなくちゃいけないんだっけ。先に当ててみようか? この麺は北海道産のデュラム小麦を……」
「お客さん……」店主は口を開いた。「最初にスープを飲んだ時に”うまい”という声を発したよね。あんたは今、フッサールという哲学者が自分の哲学の基礎においた”現象学的還元”という手法を実行して純粋直感による”快”を直接、観取したのだ!」
「そんな……ムツカシイことをしたおぼえは……」
「逆、逆。難しいことをまったくしなかったということなのだ」
どういうことかと言うと、魚介と肉の旨味だのコクだのキレだのデュラム小麦だの、既存の知識や経験を置いといて、知識や先入観は関係なく感じたうまいという”快”……その純粋な直感を取り出すことに成功したのだ。
エポケー
店主は「エポケーしてほしかった」と言う。
エポケーとは”判断停止”の意味。
今まで持っていた既成概念を消して素の状態になってほしかったのだと言う。つまり、産地がどこだとか、調理法はどうだとか、今の流行はああだとか、そういうのを無しで味わってほしかったと言うのだ。
「なるほど……だからまずはスープだけを」と、男は納得したが”還元”の意味がよく分からない。
店主は還元の意味を理科の実験〈酸化銅の還元〉で説明する。
酸化銅を試験管の中に入れ、火で炙る。すると、銅を酸化させている酸素と炭素がくっついて二酸化炭素になり、純粋な銅が取り出される。
2Cuo + C → 2Cu + CO₂
要するに、不純物から純粋なものを取り出すということ。
——と、次のお客さんが来たので、現象学の話は今度にしようということになり、男は不思議な気持ちのまま退店することになった。
デカルト
後日、男は同僚の彼女を連れて来店した。
しかし、ラーメン屋は移転していて、昼はラーメン・夜は居酒屋の営業に変わっていた。
内容はラーメン屋と同じ。現象学の講釈があると通常価格。講釈なしだと5割増し料金。もちろん、男は講釈ありで注文した。
すると、前のと同様に、具なしの味噌汁が出される。
それを飲んだ彼女は「おいし……」——エポケーで純粋な直感による”快”……それが現象学的還元。
お次はお通し・冷奴。
しかし、実はこれ、印刷。
というのも、店主は、デカルトという哲学者について説明したくてこんなことをしたと言う。
デカルトと言えば、”われおもうゆえにわれあり” フッサールはこのデカルトの”方法的懐疑”という手法を導入した。
デカルトは、世界の実在を証明するために世界のすべてを疑った人。
目の前に見えている物はひょっとして夢か幻覚を見ていて実在していないのかも知れない。
デカルトはすべてをとことん疑い、疑い得ないものが残った——それが”疑っている自分”だ。こうしてデカルトは”我思う、故に我在り”を発見したのだ。
しかし、店主が言うにはデカルトの証明ははなはだ危ういと言う。
どういうことかと言うと、デカルトは自分が思う存在を証明をしたが、思う対象の存在は曖昧なままだ。
つまり、ここにある冷奴の存在を人間はどのようにして認識しているのか? ということを究明しようとしたのだ。
内在と超越
フッサールは形而上学の「主観と客観」の考え方すら疑問視する。
主観とは、個々の人間のそれぞれの主観の世界。
客観とは、誰にとっても同一の客観的な世界。
フッサールはこの「主観・客観」の図式を捨てて、”内在と超越”という図式でとことん追及した。
フッサールがしようとしたことは、その物の普遍的な認識だ。
冷奴が本当に実在しているかのどうかは人間には確認のしようがない。つまり、証明できない。
”主観”をいくら積み上げようと客観的実在には到達しない。(自分の経験を積み上げても他者の心はわからない)
だが、目の前にある冷奴を直感的に認識しているのも疑い得ないだろうとフッサールは言う。この意識の有り様のことをフッサールは”内在”と呼ぶ。(個人の認識のこと)
そして、疑い得ない端的で明白な認識をしている意識の有り様をフッサールは”実的内在”と呼ぶ。(明らかな認識のこと)
さらに、白くて四角くてツヤツヤとしている。こういう普遍的な意味を組み合わせて全体的な意味を構成することをフッサールは”構成的内在”と呼ぶ。(自分と他者が普遍的に認識できる意識)
最後に、”超越”とは、内在によって認識した存在を内在をすっ飛ばして実在として認識すること。(その物の認識を直感で判断して、時に錯覚してしまうこと)
ここまでの説明を聞いて「ややこしい」「うざい」と思うかも知れないが、フッサールの認識論は、最初っから実在を実在と信じ込んでしまうのではなく、世界の真実を誰よりも正確に捉えようとしたのです。
読み方
人はつい間違えてしまうもの。
最初は自分と周り人たちの幸せの為に始めたことなのに、いつの間にか周り人たちを傷つけることに喜んでいる自分がいる。
技術を過信したり、力を振るってみたくなったり。そんな欲求のために人類は闘争や侮蔑を繰り返してきました。
戦争はまさに代表的な一例です。
戦争を引き起こした指導者は果たしてそれが本当にやりたかったことだったのでしょうか。
フッサールの現象学は、僕たちが間違った方向に進まないように初心を取り出し、みんなが幸せになる為の考え方を教えてくれます。
”誰1人取り残さない”というSDGsの理念との共通点も感じました。
最後に
まずは漫画で読むことをオススメしていますが、書籍で読むのもいいと思います。
書籍は、図書館や中古本など、たくさんあると思います。
ぜひ探してみてください。
価格:858円 |