まさに
中華争奪戦
黄巾賊の反乱を鎮めるべく集まった英雄たち。 やがて彼らは自らの野望・大義のために中国の覇権を争う大乱に身を投じていく——!
僕は【まんがで読破】の大ファンで、全139冊読んでいます。
生きる活力と戦う勇気がみなぎる『三国志』を簡単7分でご紹介します。
■結論
この本が教えてくれるのは、人の生きざまです。
■あらすじ
後漢末期(西暦2世紀末頃)——
政治は腐敗し、宦官らは権力争いに明け暮れ、人々は重税により貧困にあえぎ苦しんでいた。
やがて各地で盗賊団による反乱が広まっていき、朝廷をうらむ人々は次々と反乱に加担していった。
中国 幽州——
ある立て札が出された。
それは、義勇兵(=志願して兵になる人)を集う内容だった。
「なになに‥…近ごろ各地を荒らしまわる黄巾賊討伐のため?」
「こいつぁ、ちょうどいい!」
「今こそ天下平定のため、立ち上がるときだ!」
黄巾賊とは、〈張角〉を教主とする道教教団(太平道)の農民たちの集まりで、黄色い頭巾を目印にしていることから黄巾賊と呼ばれていた。その活動は広く、首都・洛陽にまで被害が及ぶほどであった。
その5万を超える軍勢に〈劉備〉〈張飛〉〈関羽〉たちはわずか500ほどの兵で立ち向かったのである。
「ほう、賊の将を討ったのか」そう声をかけてきたのは威勢のいい男だった。「そなた、名はなんという?」
「私は姓は曹、名は操、あざなは孟徳だ」〈曹操〉は続けて言う。「うしろのふたりの活躍も素晴らしかったな」
劉備・張飛・関羽と曹操——のちのライバルとなる群雄の初対面であった。
「見事、見事」と、そこに〈董卓〉という太っちょな男がやってきた。「劉備とか言ったか、おぬし、官職はなんじゃ?」
劉備が「無位無官(=地位も肩書きもない)だが……」と言うと、董卓は「ふん、そうか」と鼻で笑って去っていった。
また、この黄巾の乱の鎮圧には〈孫堅〉も参戦しており、のちの[魏][呉][蜀]の三国の雄志たちが顔をそろえていたのである。
劉備たちはこの手柄で、安喜県の県尉(=警察署長)に任命されるが、賄賂で出世し情報を捏造する政治の腐敗を知り、地位を捨てて安喜県を去った。
189年 〈何進〉という将軍が反乱を起こして宮中を襲う事件が起こり、その際、幼い〈少帝〉とその弟は山中をさまようことになる。
これを保護したのが董卓である。もちろん、国の権力を握る野心のためである。これによって事実上、朝廷の権力を勝ち取ったのである。
ある晩、董卓は宴を開いてこう言った。
「わしはひ弱な少帝を廃し、聡明なその弟を天子(=帝王)に立てたいと思うがどうじゃ!?」
誰もが反論できない状況の中、〈丁原〉が真っ向から反対した。董卓は「なんだと!」と剣を引き抜こうとするが、丁原の後ろに大男が目を光らせている。彼は丁原の養子〈呂布〉といった。
呂布の迫力に董卓は剣を収めざるを得なかったが、実は、呂布という男は自らの利益になることに目がない男でもあった。
そこで董卓は、1日に千里を走るという名馬〈赤兎馬〉をエサに部下になるように誘った。
案の定、呂布は丁原を殺して董卓の部下になることを選んだ。
勢いを増した董卓はついに政治の全権を握り、暴虐の限りを尽くすようになっていった。
司徒たちはただ嘆くばかり。そんな中で曹操は「泣いて董卓を殺せるとでも思っているのですか?」と言って、董卓を殺そうとするが失敗して逃亡、その後、捕らえられてしまう。だが、牢獄から脱出することに成功し、都から離れた曹操の叔父の家で休むことにした。
その叔父が「うまい酒を買ってくるのでゆっくりしてください」と言って出かけると、隣の部屋からシャッ……シャアッっと刀を研ぐ音と「よし、では縛って殺そう」と話す声が聞こえてきた。
曹操は自分が殺されると思い、その男たちを切り殺した。しかし、その男たちは曹操の食事に出す”豚”をさばこうとしていただけだった。
曹操は叔父が帰らぬうちにその場を立ち去ろうとしたが、途中、叔父と出会し、無残にも叔父を切り捨ててしまう。「私はたとえ自分が天下の人に背こうと、天下の人を私に背かせることはしないのだ」
■虎牢関の戦い
その後、曹操は董卓を討つべく勇士たちを募った。すると続々と豪傑たちが集まった。
〈袁術〉〈袁紹〉〈孫堅〉〈公孫瓚〉〈劉備・張飛・関羽〉らも参加し、総兵力は40万にのぼった。
董卓は洛陽の東・汜水館に軍を置くが撃破され、虎牢関に身を移した。
そこを守るのが巨漢の豪傑・呂布。
張飛、関羽、劉備が立ち向かう。さすがの呂布も3人相手だと分が悪いとみて逃げていった。
呂布の撤退により、劉備たちは虎牢関を占領。しかし、そこはもすでにぬけの殻であった。
董卓は洛陽に向かったのと知り、洛陽に向かうがそこで劉備たちが見たものは黒煙と炎に包まれた都の姿だった。董卓は都に火を放ち、長安に逃げていた。
■計略
董卓は長安に身を移したが、その横暴さはますます度を超していた。
反逆するものは次々と惨殺し、民の嘆きは天に響いた。
「どうすれば董卓を止められるのだろうか……」司徒の〈王允〉は嘆いていた。
【司徒】……《名》中国古代の官名。司馬、司空とともに三公の一つ。人民の戸籍、教育、厚生などをつかさどったもの。
コトバンクより引用
「父上……私は父上の役に立てるならば命を投げ出すことも厭いません」と言ったのは義理の娘〈貂蟬〉。
あくる日、王允は呂布を屋敷に招き、貂蟬との縁談を持ちかけた。さらに、董卓には「娘を侍女に捧げたい」と申し出た。
すると、2人は貂蟬をめぐって仲違いを始めた。同時に董卓にニセの勅令(=天子の命令)を送りつけ、呂布に殺害させた。
こうして王允と貂蟬の計略によって董卓は滅び、その圧政は幕を閉じたのである。
■徐州
董卓という脅威が無くなったので、曹操は父〈曹嵩〉と弟を都へ来るように手配した。
これを聞いた徐州の長官〈陶謙〉は〈曹嵩〉一行に護衛をつけさせる。
しかしその途中、護衛につけた兵は曹嵩の家財に目がくらみ、は曹嵩のらを皆殺しにして逃走してしまう事件が発生。
これを聞いた曹操は仇討ちのため、すぐさま徐州へおそいかかる。曹操の怒りはすさまじく、徐州の民を無差別に虐殺した。当然、徐州の長官〈陶謙〉にも刃は向けられた。
危機を感じた陶謙は劉備に援軍を求め、見事に曹操軍の侵攻を食い止め、劉備たちは陶謙はに深く気に入られた。
だが、陶謙はその後、病に伏してしまう。徐州は後継者がいなかったため、陶謙は徐州を劉備に託してこの世を去る。こうして劉備は徐州を治めることになった。
その頃、曹操は呂布と兗州で戦っていた。だが、強力な曹操軍を前に呂布は敗走。徐州の劉備の元へ身を寄せた。張飛らは呂布の受け入れることを反対したが、劉備は彼を快く受け入れ、呂布は劉備の部下となった、のだが……。
■主要キャラ
中国ものに慣れていないと、人物の呼び名や地名がわかりづらいときがあります。
とりあえず最初は劉備、関羽、張飛、曹操、董卓、呂布を覚えていればだいたいわかります。「そんなにも覚えられない」という人は劉備と曹操だけ覚えてください。基本的にはこの2人の動きがメインになってきます。
また、どこで戦っているのかわかりにくいので、筆者的には地図がわかる本があるとより理解が深まっていいと思います。
たくさんいる武将の中には、共感できる武将もいれば、嫌いな武将もいます。しかし、己の野望のために正直に生きている男たちを見ていると、ゾワゾワと心が奮い立ってくるのがわかりました。どんな人生であれ、全力で駆け抜けたい気持ちになりました。
間違った生き方をした男たちの死でさえも、その生き様に感動していました。
■ハイライト
・個性的で魅力的な武将たち
・仁義、絆
・緻密な戦略、戦術
・出会い、別れ
・覇者は誰?