【友だち0人でも大丈夫】人間関係にとらわれない生き方。孤独を愛す人は勇敢です。

 

 

こんにちは。よーいちです。

いきなりですが、友だちがいないと、希薄な人間とか協調性が足りないとか、まるで非人間のようなレッテルを貼られてしまうことがあります。

非常に悲しい発想だと思いますが、あなたはどう思われますか?

僕はこの問題についてすごく悩んだ時期があったのですが、「ある本」を通して、今の新時代にぴったりなポジティブな結論を出すことができました。

今、友だちが0人でも大丈夫な理由と、これからも友だち0人でも大丈夫な理由を解説していきます。

よろしくお願いします。

 

友だちが多い人 VS 友だちが少ない人

ある日の夜、あるテレビ番組でこんな企画がありました。

友だちが多い人と少ない人をひな壇に並べて、各々のエピソードを語らせて比較するという企画です。

たとえば、友だちが多い人はよくパーティーをするとか。友だちが少ない人は誕生日の日のスケジュールが埋まらないとか。司会者も、友だちが少ない人を「それ、寂しいな!」「嘘だろ! 誕生日も一人なの?」と、いかにも友だちが少ない人が寂しい生活をしているような、イジった展開が多く見受けられました。

番組の意図は面白い番組を作ることだと思いますが、これを真に受けてしまう人が悲しんでいると思うとを残念でなりませんでした。

 

まず、大きく勘違いしていると感じたのは、友だちが多い人と少ない人の違いは、個人が求めている人間関係に違いがあるということです。

文系の人と理系の人、アウトドアの人とインドアの人、おしゃべりな人と寡黙な人などなど。人によって好き嫌いや目標や性格は異なります。それをひとまとめにして、どちらかの物差しで両方を比較しようとするからおかしなことになるのです。

体育会系の人が文系の人に「こんな簡単なウォーミングアップでもうバテてるのか?」と馬鹿にしているようなものです。

目指しているものが違うのですから、他人の得意分野で勝てるはずがありません。いいえ、そもそも争う気もない人がほとんどだと思います。勝手に比較して、戦わせないでほしいです。

みんなが自分たちの価値観を認め合う方法を教えるような、万人に勇気を与える番組作りを願っています。

 

ある本の教訓

ところで、冒頭で述べた「ある本」って何? と思った方もいると思うのでお話していきます。

それは夏目漱石の『こころ』です。

知らない方もいらっしゃると思いますので、簡潔にご説明させていただきます。

注意:ネタバレ含みます

 

主人公は就職を控えた青年。

就職に対して希望が持てず、憂鬱で仕方ありません。

そんな時に「先生」と呼ばれる初老の男性と出会います。

「先生」は変わった人で、本当の先生ではありません。教師でも医者でもなく、それどころか無職で、主に読書をして他人と交流をせずに生活していました。(今でいうところの裕福なニートですね)

生活費は親の財産でまかなっているので心配はないようです。

結婚はしていましたが子どもはいませんでした。

そんな「先生」を青年は、他の大人とは違う何かを感じて、「先生」の家に惜しげも無く通うようになります。

ある時、「先生」は青年に「もう家に来ないでくれ」と言います。

しかし、青年がどうしてもと食い下がるので、「先生」は「そこまで言うなら、今度、私の人生をお教えしましょう」と約束するのです。

青年は「先生」の核心を知ることができるとワクワクしていましたが、そんな折に父が危篤になったと連絡が入ります。

青年は実家に戻りますが、内心は「先生」のことが気になって仕方ありません。そして、とうとう父は亡くなってしまいます。

悲しみに暮れていると、一通の手紙が届きます。宛名は「先生」です。

青年は夢中で読みました。

そこには、「先生」の過去が書かれていました。どちらかといえば、懺悔でした。

「先生」の親が亡くなった時に親戚に騙されて財産の大半を奪われてしまったこと。

学生だった頃、ある女性(現在の妻)と結婚したいがために同級生を自殺に追いやってしまったこと。

そしてその事実を妻が知らないこと。

最後に、「先生」はすべてのことを青年に託し、人生に幕を閉じるという言葉で締めくくられるのです。

 

『こころ』を読んでいて思うことは、「先生」は友だちや恋人・夫婦のような対等の関係を求めていなかったということです。

「先生」が思っていたことは自分の過去を清算すること。

友だちに相談できない。恋人・妻にも相談できない。仕事仲間もいないし、親兄弟はいないし、親戚とは絶縁状態。誰もいない。

 

「先生」のような、友だちを持たない生き方は、寂しい生き方だったのでしょうか。1人孤独で虚しい人生だったのでしょうか。

 

僕はそうは思いません。

なぜなら、「先生」は死ぬ前に自分の人生を青年に託すことができたからです。

 

著者:夏目漱石さんの思いは分かりませんが、僕はこの物語から、人間関係が多様化されていく時代の流れを読み取りました。

ちょうどこの時は明治から大正へと変わる時だったのです。

地元で生まれ育って働き口を探す生き方から、大学へ行って勉学を学び、都市で就職するという生き方に変わる、まさに時代の転換点でもあったのです。

前途に光明を見出せない「先生」と青年。

共通する心の影を、両者は感じ取ったのかもしれません。

つまり、この二人は師弟関係(上下関係)だったのです。

お互いを認め合い、心を通じ合わせ、意思を未来へと紡いでいく関係だったと解釈できるのです。

 

いろんな人がいて楽しい

・明るい人、暗い人

・偉そうな人、控えめな人

・賢い人、不器用な人

・かっこいい人、個性的な人

・背が高い人、低い人

・運動が好きな人、芸術が好きな人

・若い人、年配の人

・健常者、障害者

・日本人、外国人

・社交的な人、人付き合いが苦手な人

 

自分と違うからといって攻撃するよりも、「へぇ〜、そんな人もいるんだ」と認めてあげましょう。

 

人間関係も多様化の時代です。

 

友だち、仲間、同僚(先輩・後輩・上司・部下)、恋人、夫婦、親子、親戚。

 

人間関係は1つではありません。

だから、友だち関係にこだわる必要はない。

人を尊重し合う心を忘れなければ、それでいいのです。

仮にその人を理解できずとも、認め合おうとする心が人生を豊かにさせてくれると僕は信じています。

 

憧れの人をつくろう

友だちはいてもいなくてもいい、というお話をしました。

ですが、あなたがもしも本当に1人で孤独な人だとしたら、憧れの人をつくってください。

『こころ』の「先生」と青年のように、お互いを認め合える人をつくりましょう。

実際に親交がなくとも、あなたの心の支えとなるならOK。「この人すごいな」と思える人ならOKです。

 

大事なのは相手を尊敬すること。

 

あなたが師匠でも弟子であっても、相手を尊敬しなければ教えたりはしないし、教えを乞いたいとは思わない。

師弟関係の素晴らしいところは、いつでも離れたりくっついたりできるところです。

不義理な印象を持つかもしませんが、師匠は弟子が育つことが目的ですから、育って離れていけば嬉しく思うでしょう。

弟子にしても、離れたからといって師匠を忘れることはないでしょう。

 

心に自分の憧れの人をつくって、孤独に負けない心を養って、有意義な人生にしていきましょう。

これからは堂々と胸を張ってください。

 

最後に、孤独を愛し、人生を切り開こうともがいている人間が筆者であることをここにお伝えしておきます。

 

ご清聴ありがとうございました。

 

 

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よーいち

高校中退→ニート→定時制高校卒業→フリーター→就職→うつ→休職→復職|うつになったのを機に読書にハマり、3000冊以上の本を読みまくる。40代が元気になる情報を発信しています。好きな漫画は『キングダム』です。^ ^

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