こんにちは。よーいちです。
今回は雑談です。
気楽に読んでみてください。
もくじ
今回は『人の不幸を喜ぶ心理』をテーマにお話をします。
僕は何の変哲もない一般人ですが、普通に生活していても人の言動にはいつも驚かされます。
たとえば、同じことが起きても人によって受ける印象が違ったり、喜ばしい出来事だと思っていたらその人にとっては悲しいことだったり。
自分では思いもつかないことを言ったりしたりするのを見ると、「なんでそう思うんだろう?」と不思議に思ってしまいます。
先日、「人の不幸を喜んでいる人がいて、とても気分が悪くなった」という話を聞いて、僕は胸が苦しくなりました。
(仮名)キリコさんは、不幸ごとが起きると喜びます。
人が失敗したり、不運に見舞われると「アッハッハッハー」と高笑いをします。
ほとんどの人はそんなキリコさんを見て、「人の不幸を喜ぶなんて……」「こんな人とは話もしたくたい」と拒絶を示します。
中には「何を考えてるのか」「気分が悪い」と嫌悪感を示す人もいます。
確かにそうですよね。
それが当たり前の反応ですよね。
誰だって不幸ごとを目の当たりにしたら「かわいそう」「大丈夫かな」「自分にできることはないかな」と思うでしょう。
自分ではなくても、親戚や友だち、知り合い、全くの他人であっても、不幸ごとに心を痛める人が多いと思います。
僕が胸が苦しくなったと思ったのは、”キリコさんの言動に心を痛めている人”と”キリコさん自身”に対してです。
キリコさんの言動に心を痛めている人に対してはさきほど話した通りで、人の不幸を自分の不幸に重ねてしまうものです。
キリコさん自身と言った理由は、僕にはキリコさんも苦しんでいるように思えたからです。
キリコさんは少々ぶっきらぼうなところがあります。
素直になれなかったり、言い方が乱暴になったりします。
それはどうしてでしょう。
ひょっとしたら、キリコさんは何か苦しみを抱えているのではないか。そんなふうに思えてならないのです。
自分が苦しいから、他人が苦しむ姿を見て喜んでしまうのかも知れません。
自分が苦しいからといって他人の不幸を喜んでいいはずがありませんが、キリコさんにとっては自分が一番の不幸だと思い込んでいるのかも知れません。
「それは甘えだ」「辛いのはみんな同じだ」と思う人もいると思います。
僕もそれには同意です。
でも、そんな甘えた考えのキリコさんに「甘えた考えはやめなさい」と言っても多分分かってはもらえないでしょう。
キリコさんのことですから「うるさい! あっちへ行ってろ!」と話し合いにもならないでしょう。
それでも僕はほっとけないのです。
そんなキリコさんですが、「こんな人とは関わりたくない」と完全に拒絶することが僕にはできないのです。
もしかしたら、僕の中にもキリコさんと同じような心理があって、同情しているのかも知れません。
いいえ、誰にでも他人の不幸を喜ぶ気持ちは0ではないのかも知れません。
自分の苦しみが解決されないから、いつも辛く苦しいから、誰かが不幸になった時、自分の苦しみ(不幸)と同じになったと思えるのでしょうか。
そんな考えは悲しいですよね。
一番良い帰結は、キリコさんの苦しみが解決するか軽減されて、他人の苦しみを自分の苦しみと感じれることだと思います。
どうすればキリコさんの心は救われるのか。
それはとても難しい課題です。
苦しみの根本を解決することが難しいから簡単にいかず、いつまでもその苦しみを抱えていかなければならなくなる。
解決できないと悩み、イライラしている。
そして、ネガティブな考えが日常化がしているのかも知れません。
苦しみを解決できないのであれば、抱えていくことを決め込んでしまうのもアリかも知れません。
苦しみを解決しようとするから、解決できないと分かると辛く苦しくなる。
解決できるに越したことはありません。
誰だって、僕だって、課題を解決してハッピーエンドを迎えたいと思う。
でも、解決が難しい場合、もしくは長期にわたる場合、頑張れば頑張るほど辛くなって耐えられなくなることもあるのかも知れません。
世の中には解決できることと、できないことがあります。
解決できないから苦しみを抱えて生きる道を選ぶ。
僕は共生をイメージします。
・普段の自分と苦しむ自分。
・素直な自分とひねくれた自分。
・ポジティブな自分とネガティブな自分
・優しい自分と怒りっぽい自分
・頑張る自分と他人のせいにする自分
もしも、この2つが手を取り合ってうまく共生する人生にできたとしたらどうでしょう。
未来は明るい気がします。
心の中の多面性を共生するためには何をすればいいのでしょうか。
生きていれば、いいことも悪いこともあります。
晴れの日もあれば雨や嵐の日もあります。
でも、それは当たり前のことです。
一般的に、雨が降ったからといって嘆き悲しむ人はいないでしょう。
雨が降ったら傘をさすなり、建物の中に入ればいいのですから。
何が言いたいのかと言いますと、周りに影響されないようにすればいいのです。
それが雨のたとえでいうところの傘です。
雨が降れば傘をさすだけで心の平穏を保てます。
「あの人にこんなことを言われた」
「この人にあんなことをされた」
あるいは「〜してくれない」
と自分の利害ばかりに考えを巡らせていては、思い通りの結果にならなかった時、不満が溜まってしまうでしょう。
僕はこんな考えに陥ってしまう人にはこう言ってあげたいです。
自分で傘をさしましょう。
誰かにしてもらいたい、という気持ちもあるでしょう。
でもそれは、相手に「私を助けろよ」と命令しているのと同じです。
一度や二度は良くても、その相手は次第に心が苦しくなっていくことでしょう。
自分の苦しみを軽くするために誰かを苦しめていては、その関係は長くは続かないと思います。
ずっと良い関係を築きたいのなら、「〜してほしい」と欲するのではなく「私が喜ばせあげよう」という気持ちだと思います。
他人(外)から与えてもらうのではなく、自分が与える気持ちを持ってはいかかがでしょうか。
僕は人に与える喜びを知って、世界の明るさに気づくことができました。
今まで僕は自分のことばかり考えていました。
・自分にとってメリット(利益)がある人はいい人
・自分にとってデメリット(損害)がある人は悪い人
この考え自体を悪いことだとは思っていません。
なぜなら、自分を守るための思考だからです。
ただ、いわゆる損得勘定で物事を見ることが日常化すると、いつの間にか自分の周りには本当に自分のことを想ってくれる人はいなくなってしまう可能性があることを覚えてほしいと思います。
損得勘定は、他人から得る(奪う)ことしか考えていない危険な思考だからです。
損得勘定の思考を自分の中でコントロールする必要があります。
でも、これがなかなか難しいのです。
人は、何かをしてもらったら何かを返したくなるものです。
たとえば、お菓子をもらったらお菓子を返すような経験はありませんか?
「人にしてもらったら返すのが当たり前じゃないか」と思うかもですが、ここにも損得勘定の危うさが隠れています。
なぜかと言うと、逆に人に何かを知れもらわなければ何も返さない、とも言い換えることができるからです。
「私は人にもらう前にあげる」「私はあげることが多い」という人もいるでしょう。
その場合、お返しを期待してはいけません。
お返しを期待してるということは、「してあげたんだから返してほしい」という損得勘定の思考に陥っているからです。
最高のメリット(利益)は他でもなく、相手の喜んだ顔ではないでしょうか。
人から何かをしてもらいたいと待っていても、自分の心を苦しめるだけだと僕は思います。
冷たい言い方かも知れませんが、いつか誰かが助けてくれることはないと思います。
それに、一番危惧しているのが、人にしてもらっていると自分自身が成長しないことです。
他人でないと解決できないことって少ないと思います。
ほとんどのことは自分でできますよ。
キリコさんもそんな考えを持ってもらえたらと思います。
自分が不幸だと思うなら、自分で自分を救えばいい。
自分の幸福を他人に求めてはいけないと思うのです。
もしも自分の幸福を他人に求めてしまったら、その相手はいつか尽くすことに疲れ果てて、あなたから離れて行ってしまうでしょう。
自分のことは自分が一番分かっています。
何より、できないことができるようになった時、成長できた喜びを感じることができるはずです。
成長すれば、自分だけではなく、誰かに喜びを与えることができるようになります。
誰かに喜びを与えている姿を見たら、誰が「この人は不幸だ」なんて思うでしょうか。
人に喜びを与えている時、その人は幸福なのでしょうね。
何かのテレビ番組で、著名人が「ポーカーをした時、最初に配られる手札は変えられないが、何の役を作るか、何枚チェンジするかは決められる」と言っていたことを思い出します。
・自分の不幸は誰のせいでもない。
・自分の幸福は他人が叶えるものでもない
だから、損得勘定で考えずに、誰かの幸福を与えることだけを考えて、日々成長するための努力を積み重ねることが大事。
言うのは簡単。するのは難しい。
でも、「やってみよう!」と一歩踏み出すかは決めることができます。
今日、僕はそんなふうに思いました。
『人の不幸を喜ぶ心理』をテーマとした雑談は以上になります。
あなたの幸福と成長のきっかけになれば幸いです。
ご清聴ありがとうございました。