まさに
武士の生き方
〈新渡戸稲造〉はドイツ留学中、ベルギーの法学者と話した時、日本で宗教教育がないことに驚かれ、日本の道徳教育について考える——。
僕は【まんがで読破】の大ファンで、全139冊読んでいます。
今回はその中から『武士道』を簡単5分でご紹介します。
結論
この本が教えてくれるのは、日本道徳(大和魂)です。
感想
『武士道』との出会い
子供の頃、『忠臣蔵』好きなお爺ちゃんが「彼らの武士道精神は素晴らしい」と誇らしげに言っていました。
テレビや映画でもよく義理と人情をテーマとした”御涙頂戴もの”をやっていましたが、僕にはちっとも理解できませんでした。
なぜなら、絶対にハッピーエンドにはならず、ほとんどの場合が身内が死んでしまうからです。
簡単あらすじ
1900年 『武士道』は英文で発表されました。
「武士道」とはひとりの人物が決めた思想ではなく 武士社会の成長とともに口伝えされていった格言のようなもので サムライだけでなく広く庶民にも浸透し やがて「大和魂」……すなわち日本人の魂となった
江戸時代——
当時の食事は一汁一菜が基本の質素なものだった。
武士たちにとって、贅沢は人格に悪影響を与える、もっとも恐るべきものだと考えられていた。
武士にとって刀は力と武勇の象徴。15歳で元服(=成人)すると、真剣の携帯が許されると同時に自尊心と責任感を担うのである。
大小2本の刀は大刀と小刀……または刀と脇差しと呼ばれ、どんな時でも腰から離れることはない。
伊達に刀は差さぬ
すなわち、刀に対する無礼はその持ち主に対する侮辱とみなされた。
新渡戸稲造は武士道の要素として、〈義〉〈勇〉〈仁〉〈礼〉〈誠〉〈名誉〉をあげています。(このブログでは義と勇を紹介しています)
-義-
〈義〉とは正しい道……つまり正義を指し、もっとも厳格な徳目である。
〈義〉の武士道精神を表すエピソードとして、上杉謙信と武田信玄の逸話が語られます。
時は戦国時代
越後の〈上杉謙信〉と甲斐の〈武田信玄〉は当時の有力な戦国大名であった。
両者はともに天下統一を目指しぶつかり合うライバルである。
そしてもうひとり……武田信玄と対立していた〈今川氏真〉は、武田領内へ商人が往来するルートを断った。
1567年の「塩留め」である。
海のない甲斐国で塩は死活問題である!
苦しむ信玄にある日、謙信から手紙が届いた。
”私が信玄殿と戦っているのは弓矢の上であってこめや塩で戦っているのわけではない。今後、塩が必要ならわが国から供給しましょう”
たとえ敵でも困っている相手には手を差し伸べるのが武士。
敵に塩を送る
ある武士は〈義〉についてこう語っている。
〈義〉は体に例えるならば骨である。
つまり、たとえ才能や学問があったとしても「義の精神」がなければ武士ではない。
寺子屋——小中学校のなかった当時は多くの武士が子どもたちに読み書きを教えていた。しかも、報酬のないボランティアで。
武士にとってお金は二の次。とにかく銭勘定を嫌った。なぜなら、損得を追求することは武士道と反していたからである。
武士は食わねど高楊枝
打算や損得を超越し、自分が正しいと信じる道を貫く——良心の掟……これが〈義〉の精神である。
-勇-
〈勇〉とは義を貫くための勇気のことである。
勇気と言っても、わざと危険を冒し、討ち死にすれば単なる「犬死に」である。
武士は幼少のころから「匹夫の勇」と真の勇気「大勇」の区別を学ぶのだ。
子どもが痛さにガマンでできずに泣くと……
母親は「いくさで腕を切られたらどうする?」「切腹を命じられたらどうする?」と子を叱る。
その教育法として、冬の寒空の中で肉体をさらされたり、処刑場を見に行かせた。
勇気の精神的側面は冷静さである。
〈勇〉をまっとうするためには肉体的強さが不可欠なのだ。自分より強い暴漢に怯えて実行できなければ無意味である。
義をみてせざるは勇なきなり
〈勇〉とは正義を敢然と貫く実行力である。
記憶に残る時代劇ドラマ
僕の記憶に残る時代劇ドラマを話そうと思います。
江戸の城下町
ある職人の男と10歳にも満たない幼い息子が暮らしていました。
ある日、職人の男が町で乱暴な輩と喧嘩になって、右腕を斬られてしまうのです。
傷は深く、職人の男の右腕はもう使い物になりません。
それから職人の男は荒れに荒れてお酒を飲む毎日を過ごすようになります。
息子はそんな父の姿を見て、「前みたいに立派で格好いい”おとっつぁん”に戻ってくれよ」と涙ながらに訴えます。
その息子の言葉に我に返った職人の男は、今度は左の腕を使って1から始めようと精を出すようになり、息子や周囲の大人たちもホッと安堵しました。
しかし、事はうまく運びません。
ある日、職人の男が町で買い物をしていると、あの時右腕を斬った輩に出くわしてしまいます。
職人の男は喧嘩をするつもりはないので逃げようとしますが、輩どもは理不尽な因縁をつけて、職人の男を無残にも切り捨ててしまうのです。
夜になっても返ってこない父を待つ息子は周囲の大人と一晩を明かしました。
——翌朝、職人の男は死体となって発見され、息子や民衆からは嘆きの声があふれます。
その後、その輩たちは主役の剣豪に成敗されてとりあえずは仇討ちは成就するのですが、問題は残った息子です。
息子は亡き父の跡を継いで、職人の道を目指すことを決意し、周囲の大人たちは息子の面倒を見てくれることになりエンディングを迎えます。
僕はこれを見てこう思ったのです。「これってハッピーエンドか?」 父親が殺されたけど息子は自分の道を進み始めて、どうして「めでたし、めでたし」なの? と。
アメリカだと、ヒーローが家族全員を救ってハッピーエンドになるケースがほとんどだと言います。
「この違いはなんだろう」と長い間思っていましたが、この思想の違いは、起きた事柄(現実)に対して受け入れるか受け入れないかの違いのようです。
つまり、悲しく辛い現実を受け入れて尚、前に進もうとする謙虚な姿勢こそが武士道なのでしょう。
そう考えると、武士道は合理的な法律やお金では得られない、日本文化が生んだ幸福の理論だと思えてくるのです。
読み方
『武士道』を一度読んだ時は、綺麗事を並べているような気がしましたが、大きな勘違いでした。
死ぬほどつらいことがあっても涙を飲んで前に進み、気高く人間らしく生きるための指南書。
「古い考えだ」と言う人もいるかもしれませんが、いじめや不祥事がなくならないのはなぜでしょう?
『武士道』は、合理的で豊かな現代でもっとも欠いている心ではないかと思います。
これを機会に読んでみてはいかがでしょうか。
最後に
まずは漫画で読むことをオススメしていますが、書籍で読むのもいいと思います。
書籍は、図書館や中古本など、たくさんあると思います。
ぜひ探してみてください。
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