まさに
時事まんが
関東大震災〜満州事変〜日中戦争〜太平洋戦争〜講和・復興〜高度成長まで。 水木さんの生活史とともに庶民の眼で見る”昭和という時代”は一体どんなものだったのか——。
■結論
この本が教えてくれるのは、昭和時代の課題です。
■あらすじ
事実上の昭和史は関東大震災から始まった。
大正十二年(1923) 九月一日午前11時58分
関東地方南部に大地震が起きた。震源は相模湾海中。マグニチュード7.9だった。
家屋の倒壊と、それにともなう火災のため、壊滅的な打撃を受けた。
東京だけで死傷者は13万人。家屋は57万軒が倒れ、経済的には65億円の損害だった。今のお金に換算すると、20〜30兆円である。
この関東大震災が昭和が始まって三か月後の金融恐慌の原因となるのである。
つまり、経済が破綻してしまったのです。
不渡り、倒産が相次ぎ、政府はいろんな救済措置をとりますが、そうはうまくいきません。
昭和2年3月
大蔵大臣の〈片岡直温〉は衆議院の予算委員会で「東京渡辺銀行が本日正午をもって破綻いたしました」と発言。これを知った預金者はおどろいて銀行にさっとうし、この騒ぎに乗じて「他の銀行も危ない!!」ということになって日本中が大混乱。(実際、渡辺銀行は倒産していなかった)
昭和4年4月20日
田中義一内閣が成立。”積極的な”政治を行うとして、金融恐慌の景気回復の政策が行われたが、貿易の為替相場の下落となって、これもうまくいかなかった。
大正十四年に交付された2つの法律[普通選挙][治安維持法]が、田中内閣の昭和三年に初めて本格的に適応され、「三・一五事件」が起きた。
「普通選挙」……略称「普選」。身分、性別、財産等によって制限せず、一定年齢以上のすべての国民に選挙権を与える選挙方法。日本では、大正十四年(1925)以降、男子にのみ実現した。
本書より引用
「治安維持法」……大正十四年(1925)に公布された、「国体の変革や私有財産の否定を目的とする結社活動や個人活動に対する罰則」を定めた法律。戦前、共産主義活動を弾圧し、言論、思想の自由を奪った悪法。
本書より引用
「三・一五事件」……昭和三年(1928)三月十五日朝行われた、日本共産党員ら約1600人を一斉に検挙した事件。
本書より引用
田中義一は外交の面でも積極的で、中国各地で起きている戦争から日本人居留民を守るという名目で、中国の青島に2000の兵を送った。
この時、日本はアジアに進出して権益(=権利と利益)を拡大したい狙いがあった。
そして、昭和三年六月四日未明、中国の満鉄の列車が爆破され、乗っていた満州の支配者〈張作霖〉が重傷を負い死亡した。関東軍の陰謀と言われているが詳細は伏せられた。
昭和六年九月十八日夜、中国の満鉄の線路上で爆発音とともに火柱が上がった。満州事変の勃発である。以後、次々と事件が起こり、昭和二十年八月まで15年にわたる「十五年戦争」の幕開けだった。
■水木さんの歴史
大正11年3月8日、鳥取県境港市で生まれました。
水木さんは言葉を上手に話せない子供だったそうです。その反面、食欲旺盛でいろんなことに興味津々。すぐに大人の後ろをついて歩いていって迷子になっていたようです。
その頃から家の手伝いに来ていた〈のんのんばあ〉と過ごすようになりました。のんのんばあは妖怪やあの世といった、現世とは別の世界があることをいろいろ教えてくれたお婆さんでした。水木さんの原点が垣間見えます。
水木さんのお父さんはというと、これまた相当の変わり者でした。
極端に臆病な性格が災いして銀行をクビになり、芝居の脚本を描き始めるといった奇抜さ。生活は困窮するのに「なんとかなるだろう」と、かなり楽観的です。
水木さんが小学生になると、子供たちのケンカが盛んになります。
とはいっても。石をぶつけ合ったり、糞を食わせたりと、犯罪的な凄まじさ。この頃、軍人賛美が日本を充満していたから、勇ましいことは良しとされていました。
■父・母・祖父・祖母の生きた時代
昭和をザックリ分けると、[前半が戦争][後半が平和]です。
次第に高まっていく軍国主義の熱狂に煽られて戦争が始まり、原爆投下で終戦を迎えることができました。結局、戦争はなんだったのだろうと思いました。
戦争が終わり、平和な時代が来ると、学生運動・奇妙な事件など、今度は社会問題が浮き彫りになっていきます。平和とは言い難い時代だと思いました。
父・母・祖母・祖母はこんな時代に生きてきたんだなぁとしみじみ実感するとともに、「これが数十年前の出来事だったなんて」とビックリ。昭和に起きた出来事が教訓になって今の安全な社会が作られたことが分かってきました。
■歴史を学ぶ意義
歴史は失敗の繰り返しです。
しかし、誰がどんな活躍をして今ができたのかが分かったり、今あるもののルーツを知ることができます。そうすることで、今の課題を解決する方法が見えてきたりします。
他にも、いろんな視点で出来事を観察することができたり、様々な人の立場で物事を考えることもできます。これは、社会とどう向き合っていくのか、自分がどういう生き方をしていきたいのか、にもつながってきます。そういうことも歴史を学ぶ意義だと思いました。
誰かと歴史を語り合いたくなりました。
■ハイライト
・庶民目線の歴史
・写実的な描写
・ねずみ男のナビゲーション
・注釈でしっかり学べる
・水木さんの半生
・懐かしい風景
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■【余談】海外旅行の疑問
僕は前々から思っていた疑問を母に投げかけてみました。
「戦後に海外旅行に行って、戦地だった国の人たちに日本人は反感を持たれることがなかったのか?」と。
今やハワイ、グアム、サイパン、中国など、海外旅行は当たり前のようにできますが、戦後間もない頃に海外に行くのは危険だったんじゃないかと疑問に思いました。
世界の人たちは、軍国主義だった日本人がどんなことをしたのか知っているでしょう。親兄弟を殺された人も大勢いたことでしょう。怨みを抱かれるのは当然です。
wikipediaで調べてみると、一般人が自由に海外に旅行できるようになったのは1964年(昭和39年)4月1日以降。つまり、終戦の19年後です。仮に、終戦時に10歳の子供だったら29歳になっています。20歳の人なら39歳になっています。
僕はそう簡単に、戦争は終わったから過去のことは忘れよう、とはいかないと思ったのです。
すると母は言いました。
「そんなこと知らん。分からん」
周囲でそんな話をしている人はいなかったと言います。
僕は唖然としました。母は昭和29年の生まれなので、海外渡航自由化になった時は10歳です。もしかしたら、メディアの情報統制が行われていたのかも知れません。それとも、旅行に行ける国が制限されていたのかも知れません。
日本はまだまだ謎がある国だなと思った、というお話でした。