【解説】『平家物語』(まんがで読破)|結論|感想|読み方

平清盛像

まさに

栄光と滅亡

〈平清盛〉は武士でありながら貴族の頂点・太政大臣にまで上り詰めた。 さらに清盛は幼い孫を天皇に即位させて己を”天皇の祖父”とした。 もはや”日本は平家のもの”になったかように思われていたが——!

よーいち
今も昔も出世や権力を欲するのは同じですね。これを読んで、俯瞰的な視野が広がった気がします。

僕は【まんがで読破】の大ファンで、全139冊読んでいます。

今回はその中から『平家物語』を簡単5分でご紹介します。

結論

この本が教えてくれるのは、諸行無常の世です。

 

感想

『平家物語』との出会い

ファミコンに『源平討魔伝』というゲームがありました。

でも、子供だったこともあって内容が難しくて何がなんだか全く分かりませんでした。

他は、琵琶法師びわほうしのイメージくらいです。

 

簡単あらすじ

祇園精舎ぎおんしょうじゃかねの声

諸行無常しょぎょうむじょうの響きあり

沙羅双樹さらそうじゅの花の色

盛者必衰じょうしゃひっすいことわりをあらはす

1159年 平治の乱 勃発。

後白河上皇ごしらかわじょうこう〉の近臣〈藤原信頼ふじわらののぶより〉と〈信西しんぜい〉の戦い——信頼のぶより軍は後白河上皇ごしらかわじょうこうをむりやり連れ出し、院の御所に火をかける。奈良へ逃れようとした信西しんぜいは自害。

しかし、都に戻った清盛きよもり軍によって、後白河上皇の奪還だっかんは見事成功する。

結果、清盛軍が勝利。

信頼のぶよりは斬られ、信頼側に付いていた〈源義朝みなもとのよしとも〉は逃走中に討死うちじに。その義朝よしともの息子〈源頼朝みなもとのよりとも〉は伊豆いず(=静岡県東部)に流された。

平治の乱後、平家の軍事力は後白河上皇にとって欠かせない大きな存在となり、清盛は最高官職・太政大臣だじょうだいじんく——武士としては異例の大出世をげたのである。

坊主頭の男

上皇じょうこう……譲位した天皇の尊称。

コトバンクより引用

法皇ほうおう……出家した上皇

コトバンクより引用


1168年 出家した清盛は厳島いつくしま神社(広島県)を改築し、そこを平家の拠点にしようとしていた。

この年は平家一門が権威を固める重要な年となる。それは〈高倉たかくら天皇〉の即位である。

実は、清盛の妻(時子ときこ)の妹は後白河上皇の妻(滋子しげこ)。そして清盛と時子の子が徳子とくこで、その徳子の嫁ぎ先が後白河上皇と滋子の息子・高倉天皇。

平清盛 家系図

つまり、清盛からすれば高倉天皇は義理の息子ということに。

理由は院政を行うため。清盛と後白河上皇が手を組んでいたのだった。

院政は、上皇(太上天皇)又は法皇が天皇に代わり政務を行う政治形態のことである。

ウィキペディアより引用

要するに、あえて幼い子を天皇にしておいて、上皇や実力者が実権を握るというもの。

これによって、清盛の思いあがりはますます歯止めを失っていきました……。

(翌年、後白河上皇は出家して”法皇”となります)

 

鹿ヶ谷事件

鹿ヶ谷ししがたににある俊寛僧都しゅんかんそうずの山荘(現在の京都府京都区左京区)

ここに〈俊寛しゅんかん〉〈藤原成親ふじわらのなりちか〉〈西光せいこう〉〈平康頼たいらのやすより〉が集まり、酒をかわしながら平家討伐をくわだてていました。

酒が進むにつれて清盛の不平不満も調子に乗ってくると、成親のりちかが不意によろけて瓶子へいし(=酒器しゅき)を倒してしまう。

瓶子が倒れた

成親はそれを見て「(瓶子と平氏をかけて)へいしが倒れましたぞ!」とあざける。

なんと、その場に後白河法皇もいて「それはきっと吉兆きっちょう(=いいことが起こる前ぶれ)ぞ!」と皆をあおった。


——成親邸

藤原成親ふじわらのなりちか〉は先日の平家討伐計画を実行するべく、その大将を〈多田蔵人行綱ただくろうどゆきつな〉に依頼した。

しかし、行綱ゆきつなは平家を恐れるあまり、清盛にその謀反むほんたくらみを告発してしまう。

後白河法皇までもが加担していたことを知った清盛は大激怒! 計画を企てた俊寛しゅんかん成親なりちか西光さいこう康頼やすよりを捕らえて尋問した。

不遜ふそんな態度をやめなかった西光は殺され、俊寛・康頼・成経なりつね(成親の息子)は鬼界ヶ島きかいがしま(=九州南方の島)に流刑るけい。首謀者の成親は備前国びぜんのくに(岡山県南東部)児島こじまに流された。しかし、成親は配流はいる先で密かに処刑された。

流刑 配流

鹿ヶ谷ししがたにの陰謀は平家の力を前になすすべもなくついえた……。

 

クーデター

1179年 清盛の嫡男〈重盛〉死去。42歳であった。

愛する息子の死に清盛きよもりはショックを受け、福原邸に引きこもってしまう。

一方、後白河法皇ごしらかわほうおう重盛しげもり喪中もちゅうにもかかわらず石清水八幡いわしみずはちまんで管弦の遊びを楽しんでいた。関白基房かんぱく もとふさはこれをいいチャンスと法皇に入れ知恵をする。

後日、清盛は激昂げきこうする。死んだ重盛の知行国ちぎょうこく(=領地)を没収された上に、新しい中納言ちゅうなごんが関白基房のご子息〈師家もろいえ〉になったとの聞かされたのだ。

清盛は数千の軍兵を率いて基房もとふさ邸に押し寄せた。

軍兵 進軍

関白基房をはじめ、法皇の臣下しんか43人を京都から追放。そしてとうとう法皇は鳥羽とば離宮りきゅう幽閉ゆうへいされる。

とどまる所を知らぬ清盛は新政権を作るため、福原(=兵庫県神戸)への遷都せんとを考え始める。

中納言ちゅうなごん……日本の律令制の官職。太政官だじょうかんに設置された役職で大納言に次ぐ。

ピクシブ百科事典より引用

 

平家打倒

1180年 2月 安徳天皇即位。わずか3歳の新帝であった。

これをもって清盛はついに天皇の外祖父がいそふ(=母方の祖父)となった。つまり、天皇の祖父になり、これからは心置きなく院政ができるというわけである。

しかし、これを心よく思わない者たちがいた。比叡山延暦寺ひえいざんえんりゃくじ園城寺おんじょうじ興福寺こうふくじの3寺院。そして、後白河法皇の第2皇子〈以仁王もちひとおう〉である。

以仁王もちひとおうは「父である法皇を幽閉から解き、平家を滅ぼして次の天皇なるのは私だ!」ということで、平家追討の令旨りょうじ(=皇子の命令文書)を諸国の源氏に出す。それは伊豆いず配流はいる(=流刑)していた〈源頼朝みなもとのよりとも〉にも届いた。

源頼朝にとって平家は父・義朝よしともあだ。しかし配流はいる(=流刑)した身で挙兵してもいいのかと迷っていた。が、文覚ぶんがくという僧侶が都に上がり、後白河法皇から院宣いんぜん(=上皇・法皇の公文書)を受け取ってきた。

院宣

源頼朝はついに平家打倒に挙兵。 まずは関東の平家から滅ぼし、力をたくわえていくのでした……。

 

源氏と平家とは

実は、源氏と平家は天皇に血筋の者たちなのです。

源氏は清和せいわ天皇の子孫。

平家は桓武かんむ天皇の子孫。

彼らの子孫は皇位継承権を失って「源」「平」の姓を与えられ、地方の役人になった際に地方の武装集団と結びついて武士団を形成するようになりました。

膨れ上がった武士団はやがて勢力を伸ばし、武功を挙げたり、天皇や上皇に取り入って権力を手にしれようとした、というのが両家の経緯いきさつです。

 

※参考文献 著者:山崎圭一 『公立高校教師You Tuberが書いた 一度読んだら絶対に忘れない 日本史の教科書』,SBクリエイティブ株式会社,2019年9月14日発行,94ページ

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感想(45件)

読み方

歴史ものを楽しむには歴史を知るのが1番です。

僕は最初、何の予備知識も無しに読んだので頭の上に「???」、ちんぷんかんぷんでした。

登場人物が多くて誰が味方で誰が敵かもよく分かりませんでした。

「それでも歴史の本を読むのは嫌だ」と言う人への”ワンポイント”としては、平清盛たいらのきよもりが元凶。後白河上皇ごしらかわじょうこうは保身的な人。源頼朝みなもとのよりとももなかなかの曲者。その他大勢・周りの人たちはこの3人に良いように利用されて翻弄されてるだけ。

この3人だけ頭に入っていれば、『平家者語』のびが分かります。

 

最後に

まずは漫画で読むことをオススメしていますが、書籍で読むのもいいと思います。

書籍は、図書館や中古本など、たくさんあると思います。

ぜひ探してみてください。

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よーいち

高校中退→ニート→定時制高校卒業→フリーター→就職→うつ→休職→復職|うつになったのを機に読書にハマり、3000冊以上の本を読みまくる。40代が元気になる情報を発信しています。好きな漫画は『キングダム』です。^ ^

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