【解説】ももなり高『マンガ 孫子の兵法』|結論|感想|読み方

まさに

孫武列伝

紀元前500年頃(春秋時代)——周辺国が攻め入ってくる群雄割拠の時代。『孫子の兵法』はいかにして誕生したのか、孫武の波乱の生涯が今開幕する——!

よーいち
孫武そんぶがどんな人か、どんな苦労があったのかが分かって、『孫子の兵法』がもっともっと好きになりました。

僕が大好きな漫画 『マンガ 孫子の兵法』を簡単7分でご紹介します。

結論

この本が教えてくれるのは、孫武の人となり孫武の生きた時代です。

 

感想

『マンガ 孫子の兵法』との出会い

『孫子の兵法』が優れていることは分かりましたが、そもそも孫子を知りません。

孫子はどんな人でどんな時代を生きていたのか……気になってきました。

 

簡単あらすじ

夷蛮戎狄いばんじゅうてき

東方とうほうの異民族を[]、南方なんぽうを[ばん]、西方を[じゅう]、北方を[てき]という。中央の人々と夷蛮戎狄の五方民は互いに言語が通じない

礼記らいき王制第五おうせいだいご

紀元前1100年 いん王朝末期

天下の暴君ぼうくんちゅう王〉がいた。

天性能弁てんせいのうべん行動俊敏こうどうしゅんびん才力さいりょく人に勝り、腕力は素手で猛獣を倒し、悪知恵に優れ、天下に己に並ぶ者なしと豪語した——が、愛妾あいしょう妲己だっき〉におぼれ、酒池肉林しゅちにくりんぜいきわめ、政治をないがしろにしていた。

ちゅう王〉の暴虐ぼうぎゃくはとどまるところを知らず、ついに「いん王・ちゅうつべし」と[しゅう]の〈武王ぶおう〉が立ち上がった。

しゅう]軍4万5000に対して[いん]軍は70万の大軍であったが、烏合の衆の[いん]軍は士気しきおとり、敗北をきっした。その後、〈武王ぶおう〉の弟〈しゅう 公旦こうたん〉が天下を安定させた。


そして時代は流れ——紀元前6世紀末

周王朝は衰微すいびして、各地域の諸侯しょこうたちが覇権はけんを争い、熾烈しれつな争いを繰り広げていた。この激動の時代に頭角とうかくを現してきたのが長江ちょうこう下流域の蛮地ばんち]である。

大国たいこく]は荊蛮けいばんなどと蔑称べっしょうされていたがその性格は獰猛どうもうである。

紀元前522年——[]から〈伍子胥ごししょ〉という名前の男が[]へ亡命してきた。〈伍子胥ごししょ〉は[]王によって父と兄を殺され逃れてきたのだ。

時の[]王は〈りょう〉。

りょう〉の父〈寿夢じゅぼう〉には4人の男子があった。〈寿夢じゅぼう〉のあと、長男〈諸樊しょはん〉がいだのだがやまいしたのだが、後継者に自分の息子〈公子光こうしこう〉を選ばず、三男(諸樊しょはんの弟)の子である〈りょう〉を選んだのである。

公子光こうしこう〉としては自分が王になると思っている。

公子光こうしこう〉は〈伍子胥ごししょ〉と計略し、〈りょう〉を酒宴しゅえんに招いて謀殺ぼうさつした。

紀元前515年、〈公子光こうしこう〉は王位についた。すなわち、〈闔閭こうりょ〉である——こうして〈伍子胥ごししょ〉は将軍に取り立てられた。

伍子胥ごししょ〉を得た[]はその後勢力を伸ばしていくが、南の新興勢力しんこうせいりょくえつ]が背後からおびやかすのである。

 

孫武

性は孫 名は武 [斉]国に生まれる。

祖先は[ちん]の〈公子完こうしかん〉で紀元前672年に内乱で[せい]に亡命ぼうめいし、〈田完でんかん〉と名を変えた。その5代目〈田書でんしょ〉が〈孫武そんぶ〉の祖父であり、身分は大夫たいふ(=高官)であった。軍功を立てた時にそんの姓をたまわり、〈孫書そんしょ〉と名乗った。

孫武そんぶが2歳の頃——

庭の大岩によじ登り、たかへびを取り合いをして絶対に離さなかった。

それから孫武は天賦てんぷの才を見せつける。どこからか大小の石を集めてきて部屋の中に並べて朝から晩までたわむれていたのだが、ただ戯れていたのではなく、石を人に見立てていくさの陣形を作り、孫武自身は指揮官のようにふるまっていたのだ。


孫武 8歳の時、学校に行っていたが学業はダメだった。

孫武 10代初め、両親が疫病えきびょうで急死した。孫武は3日間泣き通し、そのあと3年間に服した。

喪が明けると、孫武は学校をやめ、書庫にこもった。孫武はせきを切ったように書をむさぼり読んだ。〈呂尚りょしょう太公望たいこうぼう)〉の兵法書や軍事典籍ぐんじてんせき『軍政』、あるいは〈管仲かんちゅう〉の用兵史実ようへいしじつなど、古代の軍事書物を次々と読破どくはした。

祖父の書き残した兵法書は父がまとめ、未完になっていたため、孫武はそれを完成させようと決心したのである。

孫武はさらに3年をついやし、ついに兵法書をまとめあげた。

まずは遠戚にあたる〈田氏でんし〉を訪ね、朝廷に献じる足掛りを得ようとした。〈田氏でんし〉は孫武の熱意をみ、[斉]国の宰相さいしょう(王の補佐)〈晏嬰あんえい〉に献上。しかし、立身出世が目当ての俗物とこき下ろされてしまう。しかも、人民を惑わすとがにより、百叩きの刑と1年の賦役ふやく(=兵役へいえき)に処されてしまった。

…… 1年の賦役から戻った孫武はそれはひどいありさまで、とても暗い目をしていた。

戦場で何か感じたことがあったのか、書庫にこもり、新たな兵法書の執筆に没頭ぼっとうした。あの兵法書は理論だけで空回りしていた。が、戦争の経験が孫武を大きく変えた。その時書き上げた兵法書はゆうに百遍を超えたという。(今は13編が古代の眠りから覚めただけである。)

その後、孫武は[せい]国に見切りをつけ、[]に移住。〈伍子胥ごししょ〉将軍と出会い、その実力を認められて[]王の〈闔閭こうりょ〉に将軍として取り立てられることになる。

 

春秋時代

紀元前500年頃の中国は各地に諸侯たちが覇を競い合っている戦乱の時代でした。

特に[せい][しん][][しん]などが有力で、末期には[]と[えつ]が台頭した。

これまでの戦いは貴族が戦車に乗って敵と一騎打ちをやる戦車戦でしたが、戦える場所が限られていたり、大規模な兵力が動員できない問題がありました。だから決定的な戦いにはならず勝敗がつきづらい為、兵法による戦術が有効な戦法として取り入れられていくのです。

 

孫子がすごい理由

孫子の魅力はただ戦争論を述べているだけではないところです。

人間を心理的に深く分析し、先進や行動に対する鋭い洞察で、人間論にまで昇華させています。

例えば、1番の勝利は戦わずして勝つことだと言います。どういうことかと言うと、被害や費用を最小限にとどめることの大切さを説いているのです。どっちが勝つか分からない実力が拮抗した戦いは、仮に勝ったとしても被害は甚大。その後の復興は苦難となるでしょう。勝つことを最重要とするのではなく、国の繁栄と安泰を最優先にした経済的な思考がうかがい知れます。

その他にも、奇策や謀略を進めていたり、運や偶然に頼らない合理的な戦術を説いています。

『三国志』の曹操や諸葛孔明、武田信玄が『孫子の兵法』を活用していたのは有名ですが、現代でもスティーブン・ジョブスさん、孫正義さん、前田祐二さんなどの経営者たちも熟読したと言われています。

 

読み方

孫武の生きた時代と孫武が兵法を書き上げ、呉の将軍として戦うストーリーです。

この本の特徴は、孫武の生きる様子・エピソードがメインとなっているところです。なので、兵法の名言はほとんど出てきません。

孫武の生涯の資料は数少なく、唯一の手がかりが〈司馬遷しばせん〉の『史記しき』だけだといいます。この『マンガ 孫子の兵法』は”作者が孫武について研究した成果をふくらませて書いたものになっている”と述べています。しかし、孫武が生きた様子を描いた作品は珍しく、若き孫武の姿・言葉・表情をこの目で見れたことにたいへん満足しました。

 

最後に

『孫子の兵法』に関する書籍はビジネス向けや古典としてたくさんあります。

古代中国の時代背景を知りたいなら、まずは漫画で読むとその世界に入りやすいかもしれません。

ぜひ探してみてください。

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高校中退→ニート→定時制高校卒業→フリーター→就職→うつ→休職→復職|うつになったのを機に読書にハマり、3000冊以上の本を読みまくる。40代が元気になる情報を発信しています。好きな漫画は『キングダム』です。^ ^

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