【解説】安彦良和『三河物語』(マンガ日本の古典)|結論|感想|読み方

三河物語 イメージ 侍怒る

まさに

愚痴軍記

徳川家に仕える老中〈大久保忠隣〉は〈本多正信〉の陰謀によって領地を没収され、身分を平民に落とされてしまう。その報せを聞いた叔父の〈大久保彦左衛門〉は怒りを爆発させ——。

よーいち
クラっとしました。「この人も辛かったんだなぁ」と同調シンクロしてしまいました。自分と同じような悩みを持つ人がいると嬉しいものですね。

今回は【マンガ日本の古典】から『三河物語』を簡単5分でご紹介します。

結論

この本が教えてくれるのは、忍耐のメリットです。

 

感想

『三河物語』との出会い

軍記ものは好きです。

ちょっと小難しいところはありますが、読んでいれば自然と慣れてしまいます。

 

簡単あらすじ

『三河物語』は、徳川家康、秀忠、家光の三代にわたって仕えた旗本大久保彦左衛門忠教が著した、家訓ともいうべき性格をもつ軍記物語。本全集では『三河物語』を漫画化するにあたって、講談、映画などでよく知られる一心太助を忠教に絡ませるという方法を試みた。

江戸に到着 一心太助

1612年

百姓の息子〈一心太助いっしんたすけ〉は故郷を捨て、侍になるために江戸に到着。……そこで〈大久保彦左衛門おおくぼ ひこざえもん〉と出会った。

一心太助は馬鹿正直なのか純粋なのか、彦左衛門を差し置いて、そのあるじである〈大久保忠隣ただちか〉を紹介してください!、と頼んだ。

普通なら怒るところなのだろうが、彦左衛門はなぜか一心太助を気に入り、家来として召し仕えさせた。

大久保彦左衛門

——駿河台

彦左衛門の屋敷では、彦左衛門による”講釈”が行われていた。

彦左衛門に養われている数十人の浪人を広間に集めて”徳川家の武将戦記”を語るというもの。……しかし、浪人たちは同じ話を何度も聞かされていたので飽き飽きとしていた。中には居眠りをする者もいて、彦左衛門は苛立っていた。

そんな中、一心太助だけが真面目に聞いていたので、彦左衛門はさらに一心太助を可愛がった。


しかし、この頃から、世間では大変なことが起こり始めていた。

まず〈岡本大八おかもと だいはち〉という役人が火あぶりになった。

九州の大名〈有馬〉から賄賂わいろを取っていたことがバレたのだ。有馬はお取り潰し(=お家断絶、領地没収)で、その主人〈本多正純ほんだ まさずみ〉のまわりも大騒ぎになった。

火炙り

本多家が嫌いな彦左衛門は、この時は上機嫌だった。

年が明けて4月。今度は鉱山奉行かなやまぶぎょうの〈大久保長安おおくぼ ながやす〉が死んだ。

金銀の山を拓いて大金持ちになった長安も、賄賂や隠し財産の他にも後ろ暗さを持っていたそうで、7人の子供が切腹となったうえに、長安に縁のあったたくさんの人が改易かいえき(=所領の没収)や流罪るざいになった……。

——そんなある日、太助は彦左衛門に連れられて、〈大久保忠隣ただちか〉の屋敷へ向かった。長安は忠隣が後ろ盾していた人物だった。

 

大久保忠隣

お屋敷

——老中〈大久保忠隣〉屋敷

忠隣ただちかは彦左衛門の主人で、7歳年上のおいに当たる人物。(彦左衛門は忠隣から給料をもらっている)なのに、彦左衛門はズカズカと屋敷に上がり込む。

一心太助はその様子を見て、根はいい人なんだけど多分出世しないなぁと思う。

忠隣がやってくると、彦左衛門は「そんなに弱気ではいかん!」と、これからのお家の在り方について論じ始めた。特に、本多家のことだ。先の岡本大八の一件で痛手を負ったのを逆恨みして、さらに長安の不始末を逆手に取って忠隣を追い落とそうとしている、と彦左衛門は熱弁した。

しかし、忠隣は落ち着いていた。

それらの処置は大御所様(=徳川家康)がお見通しだと言うのだ。そればかりか、息子が亡くなったこともあって根気がなくなったので、小田原に帰り余生を過ごそうかとも思ったりする、と言う。

「ぶあっかなあ!!」彦左衛門は「単騎ただいっきにても本多と戦うてみせる!」と啖呵たんかを切って屋敷を跡にした。

 

本多正信

? 一心太助

「ねえ、殿様」一心太助は彦左衛門に長安について問うた。

彦左衛門が言うには、長安はもともと甲斐のあぶれ者で、それを忠隣が目をかけてやったのだと言う。なのに恩を仇で返された形になったようだ。しかも、あの本多にしても、一向一揆の時、徳川家康に弓を引いた挙句に他国に逃げて流れ者に成り下がったところを彦左衛門の兄〈忠世ただよ〉が面倒を見てやったと言うから怒りがおさまらない。

——と、橋の向こうから馬乗りの行列が近づいてきた。その中央にいるのは本多正信。

「おおおおおお!」

彦左衛門は「話がある!!」と、大声で駆け寄り、忠隣が仕事をサボっていると大御所様へ讒言ざんげん(=人を陥れる告げ口)したことへの是非を問うた。

しかし、本多正信は悪びれもせずに、忠隣が近頃気分のすぐれないので仕事をほどほどするように気配りをしただけ、と言って通り過ぎて行った。

 

大事件発生!

徳川家康 家紋

慶長18年12月初め

その日、家康は相模中原さがみ なかはらと言う所で宿をとっていた。

そこに歳をとった侍がやってきた。名前は〈馬場八左衛門ばば はちざえもん〉。忠隣の家来だった。

この者が応対した、本多正信の目安状を差し出して言うには、”忠隣に謀反の企てあり”。

家康はその言葉を鵜呑みにしたのか、忠隣に京都へ行くように命じた。キリシタンを取り締まれとのお達しだった。忠隣はまさか自分が謀反人として疑われているとは思わないので、言われた通りにことを進めていたのだが、突然、忠隣に改易処分(=領地没収)が発表された。

怒り心頭

その報を聞いた彦左衛門は呆気に取られた。

次の瞬間、ふらっと立ち上がって怒声を上げた。「謀ったな、本多あ! 刺し違えてやる!」

彦左衛門は怒り心頭でいくさの準備をし始めたが、周りがそれを必死に止めた。今までお仕えしてきた忠誠心を台無しにしてしまうのか、と。

彦左衛門は我に返って膝をついた。そして、大声を出して泣いた……。

 

耐えるって辛い

雌伏の時 悔し涙

長い物には巻かれる者が勝つのは今も昔も同じなのだな、と思いました。

真面目に頑張る者よりも、上の者にへり下り取りつくろうのが上手い人が有利なる。反論すれば、却って自分の評価を下げることになり、口をつぐみ黙って耐えるしかない。ただ、何事もなかったかのように振る舞うことほど辛いことはありません。

 

読み方

大久保彦左衛門は本多正信の計略によって汚名を着せられ、主人を失い、俸禄(給与)も減らされてしまいます。

さらに、相打ち覚悟の玉砕も周りに止められて思うようにならず、失意の底に落ちてしまいます。

そんな彦左衛門を暖かく見守るのが一心太助です。

本作の序文やあとがきにも書かれていますが、本来の『三河物語』には一心太助は存在していません。

ですが、彼が彦左衛門の良き理解者としていてくれたおかげで、彦左衛門が愚痴ばかりを言っている日陰者に成り下がらずに済み、とても救われた気持ちになりました。一心太助を登場させた、安彦良和先生に大きな優しさを感じてなりません。

よき理解者の存在は本当に嬉しいものですね。

 

最後に

まずは漫画で読むことをオススメしていますが、書籍で読むのもいいと思います。

書籍は、図書館や中古本など、たくさんあると思います。

ぜひ探してみてください。

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よーいち

高校中退→ニート→定時制高校卒業→フリーター→就職→うつ→休職→復職|うつになったのを機に読書にハマり、3000冊以上の本を読みまくる。40代が元気になる情報を発信しています。好きな漫画は『キングダム』です。^ ^

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