あの日から数日後、僕は仕事をしていた。
特にミスをすることもなく、そこつなく作業をこなしていた。
しかし、1ヶ月、2ヶ月と経つうちに、心の中で何かが変わっていくのが分かった。自分でも分かるように、気分が下がっていくのを日々実感していた。意欲が低下し、ため息が増え、笑顔が減り、顔はいつもうつむき加減。同僚から冗談混じりに「体から悲壮感が漂っている」と言われたりしました。その通りだった。
日が経てば治るだろうと思っていたので、喪失感というのはこんなもんなんだろうというぐらいに思って、特に何もせずにいました。恥ずかしい話、友達はおらず、妻とも倦怠感だったこともあって、自分の気持ちを話せる人は誰もいません。覚えているのは、寝るまでお酒を飲んでいたことです。
そんな生活を続けていると、治るどころかどんどん悪くなる一方。それが分かっていても家に帰れば一番にお酒を飲み、寝るまで飲んでは朝を迎えて、仕事に行って帰ればまたお酒。それの繰り返し。何も考えたくなかったのです。
そしてとうとう1年ほど経ったある日、上司から「休もうか」と言われてしまいました。
「嫌です」僕は即答しました。
親が亡くなったくらいで簡単に仕事を休む、ダメ人間になってしまうような気がしていたからです。
しかし、上司は半ば強引に「まあ、いいからちょっと休みなさい」と言って休日届けを作成し、僕は次の日から3日間休むことになりました。
その時、仕事を休みたい気持ちなんてこれぽっちもありませんでした。確かにお酒を毎日浴びるように飲んではいましたが、遅刻はおろか休んだことはありませんでした。とりあえず休む、ということで、突然の休みを仕方なく受け入れましたが、心の中では自分を情けない奴だと自分を罵りました。
休みの日、何をしていたのか全く覚えていません。
家にいたのか、どこかに出かけたのか、何をしていたのか。とにかく、3日間の休みを終えて、またいつものように仕事の日々が始まりましたが、もちろん、その休みで良くなったわけではありません。何も変わってはいませんでした。
さらに2〜3ヶ月経って、また上司から言われました。
「休職しようか」
「嫌です」僕は今度も即答しました。
ですが、「一度、しっかり休んだ方がいい」と上司は説得してきました。僕は何度も「嫌です」「休みません」と言い返しましたが、根負けして長期休暇を取ることになりました。
「どれくらい休めばいいんですか?」と僕は聞くと、「とりあえず、Sさん(人事部)と話をしてから決めるから」と言われ、話し合うことになりました。僕の今の状態を話して、休職するという意思を伝えたような気がします。それが終わると、休職の開始する日が決められ、通院する病院を紹介されました。
ガッカリしたような、ホッとしたような、複雑な気持ちだったことを覚えています。
家に帰った僕は、数日間分の服を鞄に詰めて、妻に何も言わずに実家へ行った。父が亡くなったので、今や実家には母が一人で生活している。
僕は母に「泊まるから」とだけ言って、自分の部屋へ行って寝転がった。
朝起きて、今日からどうしようか、何か計画を立てた方がいいのだろうかと思いましたが、何もやる気は起きなかったので、テレビを見たり漫画を読んでいた気がします。
僕は母に何も話しませんでしたが、仕事を休みで来ているのだと思っていたはず。
たまに何かの会話をすることはありましたが、休職している話をするのが嫌だったので、次の日は車で出かけることにした。
でも、行く宛もないので、どうせなら人がいない場所に行こうと、山の方に向かった。
30分ほど進んでいくとすぐに山道に入った。このまま進むとお店も無くなりそうだったので、途中、コンビニに寄って、おにぎりとお茶を買った。
ふと周りを見ると、木と山と道路だけ。もっと奥に行ってみよう、と、さらに先へと進んでみる。
進んでいくほどに民家は減り、道はどんどん狭くなって、傾斜が高くなり、グネグネと曲がりくねった道が増えていく。一瞬、引き返そうかとも考えましたが、一方通行の道だったので、広い道に出るまでは進んでみることに。ここまで来ると、もう辺りは十数メートルあろうかという高い木ばかりがびっしりと生えた、空も見えない林道。もちろん、そこには僕以外の車はありません。
林道を20〜30キロで走っていると、横に脇道が見えたのでそっと入ってみた。
ゴオオオと川が流れる音が聞こえる。車を降りると、騒音のような大きな音だった。僕は雑草と雑草の間に出来ている細い道をくだっていき、ゴツゴツとした岩を横切って、川のほとりに出た。
その川は幅が10メートルほどあって、手前は浅く、流れは緩やかでしたが、奥の方は浅黒くて底が見えず、激しく飛沫を立てていた。もし、そこまで行こうものなら溺れて流されてしまうことは安易に想像できた。
それにしても、川の音以外、何の音も聞こえない。空気は澄んでいて、ピューッと吹いてくる冷ややかな風が何とも気持ちいい。
「こんな場所があったなんて……」
僕は靴下の脱いでズボンの裾を膝まで捲り上げ、川の手前の浅瀬に足を入れてみると、とても気持ちがいい。目を閉じて、ゴオオオという川の音だけに意識を集中させてみると、心が洗われたような気がした。
せっかくだから、と、スマホで写真を撮り、気が済むまで川の堪能した後、椅子代りになりそうな平らな石に座っておにぎりを食べ、お茶を飲んだ。
「また来よう」
なんだか癒されたようだ。
僕はそこで何をするということはなかったが、1〜2時間過ごして、午後4時になる前に実家に戻り始めた。
その車中、「帰りたくないな」「(実家に)戻っても何もすることがないな」なんて考えていたが、案の定、帰り道にお酒を買って、寝るまで飲み続けた。
母はそんな息子の姿を見てどう思っていたのだろう。口には出さないが、何かあったのだろうことぐらいは察しがついていただろうに。
僕はいつかは話さないといけないなと思いながら、この日も話すことができなかった。実際に話したのはだいぶ後だったと思う。
ある日、僕の携帯が鳴った。Sさんからだった。「お母さんと話は出来ているのか?」と。
母1週間か2週間経った頃、母が僕に内緒で職場に電話をかけてしまったのだ。
僕は恥ずかしくなった。こんな40手前のいい大人が母に心配されて会社に電話されるなんて。
「ご迷惑をおかけしました。はい、はい。話します」僕はそんな返事をして電話を切った。
でも、母には全部話すことはできず、「今、休んでいる」とだけ言った。母は「なんで?」と言ってきたが、僕は「とにかく休んでる」と、理由は言わなかった。いや、言えなかった。恥ずかしいのと情けないのとで、どうしても言うことができなかった。
しかし、ずっとそうとばかりも言ってられなかった。なぜなら、病院に行く日が迫っていたからだ。
もちろん、今までそういう病院に行った経験はない。どんな所かも知らないし、何をするのかされるのかも分からない。
しかも、僕は病院が大嫌いだ。一番嫌いなのは、待ち時間が長いことだ。それに待合室の空気感も嫌いだ。早くこの場から出たくて出たくて我慢できなくなる。
そんなことを思って、自分で勝手にイライラする日を送りながら、ついに初診の日がやってきた。午前8時30分、病院に向かった。
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